本当にやりたいことを探すことのリスク

Instagramに絵を連続投稿をして数日。

やってて上手くいかないこと、なんでできない、才能ないなあと感じること、それでもやりたいと思うこと。

やって向き合って初めてわかること。

最近は『一周まわって行動主義』を唱えている。

結局やりたいことなんて頭で考えてても仕方ない。

やりたいと思ったことが、やってみてなんか違うししっくりこないと思うこともあれば、絶対向いてないと思うことが案外充実したり続くこともある。

人に求められて楽しくなることもあるし、求められてもやりたくねえと感じることもある。

上手くいかなくてすぐ辞めることもあるし、上手くいかないけどそれでもできるようになりたくてしがみつくこともある。

結局のところそのときその時に何を感じるか、その積み重ねしかない。

挑戦すること、向き合うことは苦しい。怖い。緊張する。

やってもいいしやらなくてもいい。

でもやった先にしか感じられないことも多い。

人類皆誰しもに天才性が備わっており、何かしらの素質を持っていて、それを発揮することが人生の喜びである。

実にその通りだと思うけれど、この言葉を受けて『自分探し』『素質探し』『この世の使命探し』を始めるのは危険だと思う。

なぜなら確固たる真の答えなどそもそも存在していないため、一生答えが見つからない不足感を感じる可能性があるからだ。

人生は1つ大きなレールではない。

いまこの瞬間の積み重なりが結果としてレールに見えるだけで、レールを感じながら歩みを進めるのか、歩んだ跡がレールになっているかは

側からみて同じに見えても正反対だ。

自分の意思の真実はいまこの瞬間にしか存在しない。欲求も願望も全ての基準は今に存在していて、過去にも未来にもない。

(ただし、この声を真正面から受け止めるにはある程度の思考の歪みがなくなっている必要がある。。)

自信を感じられなくてもいい。感じてもいい。

夢を持ってもいい。持たなくてもいい。

あきらめてもいいしやり直してもいい。

全ての基準は今にある。

支離滅裂な文章でも、いい(苦笑)

絵を数日描いていて、どんどん描きたいものがはっきりしてきた。

これも現段階の話だし、最終ゴールなんて知らなくていい。

いまやりたいと思うことをやって、

楽しんで苦しんで、楽しむだけ。

ちなみに昨日の気づきは、動いてる瞬間を描くのが非常に楽しいということ☺️

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